日本神話:イザナミと黄泉の国の物語
イザナミノミコトと黄泉の国の物語って?
タケル「なあミコ。黄泉の国って、よく聞くけど、あれってなんなの?地獄とは違うの?」
ミコ「黄泉の国はね、日本神話に出てくる死者の国のことだよ。地獄とはちょっと違うけど、死後の世界って意味では似てるかも」
タケル「じゃあ、そこにイザナミノミコトっていう神様が関係してるんだろ?イザナギって神様もいたよな?夫婦だっけ?」
久遠先生「その通り。イザナギとイザナミは、日本神話における最初の男女神なの。国を生み、神々を生んだとされている存在ね」
タケル「神様の夫婦が、黄泉の国に関係あるって、どういうことなんだ?」
ミコ「そのへんの話、ちゃんと聞きたいな。黄泉の国って、どういう世界なのかも含めて」
久遠先生「じゃあ、イザナミと黄泉の国の物語を最初から説明するわね」
国づくりと神々の誕生
久遠先生「イザナギとイザナミは、天の神々から“この世界を整えなさい”という命令を受けて、日本列島を作ったの。最初に生んだのが“淡路島”で、その後も次々に島々を生んでいったの」
タケル「神様が島を生むってどういうこと?なんかスゴいけど、想像つかないな」
ミコ「でも神話だから、自然現象を神様の行動として表現してるんだよね?」
久遠先生「そうね、古代の人たちは、自然の力を神の力と重ねて理解してたの。その後、イザナミはさまざまな神様を生んでいくけど、“火の神”を産んだときに、ひどいやけどをして死んでしまうの」
タケル「えっ!? 神様でも死ぬの?」
久遠先生「神様の死、それも日本神話では重要なテーマなの。イザナミの死は、ただの終わりじゃなくて、神々の秩序や死後の世界の成立に関わっているのよ」
イザナミの死と黄泉の国への旅
ミコ「じゃあ、イザナミは死んで黄泉の国に行ったの?その後どうなったの?」
久遠先生「イザナギは、愛する妻を失ったことで悲しみに暮れるの。でも、どうしてももう一度会いたくて、黄泉の国に入ってしまうのよ」
タケル「えーっ、それって幽霊の世界に行くようなもんじゃん!怖くないのか!?」
久遠先生「愛が勝ったのかもね。イザナギは黄泉の国に降りて、イザナミに『一緒に帰ろう』と伝える。でも、イザナミはもう“あの世の食べ物”を食べてしまっていて、戻れない状態だったの」
ミコ「それって、ギリシャ神話のペルセポネと似てる!」
久遠先生「よく知ってるわね。黄泉の食べ物を食べた者は戻れない。日本でもギリシャでも、“食べ物”が境界の象徴なの」
タケル「イザナギ、どうしたんだよ?」
久遠先生「『姿は見ないで』というイザナミの言葉を無視して、火を灯して彼女の姿を見てしまうの。すると、イザナミの体は腐敗して、ウジがたかっていて、まさに“死者”の姿だったの」
ミコ「うわぁ……それはショックかも」
久遠先生「イザナギは恐れて逃げ出す。イザナミは激怒して黄泉の軍勢を送り、最後には“黄泉比良坂(よもつひらさか)”という境界で二人は完全に決別するの」
タケル「切なすぎるな……」
決別と“死”のはじまり
ミコ「じゃあ、イザナミは死の女神になったってこと?」
久遠先生「そう。彼女は“黄泉津大神(よもつおおかみ)”として、死の世界の支配者となったの。イザナギはそれ以降、現世の神々を司る立場になるわ」
タケル「それって、もう二人は完全に違う世界の神になっちゃったってことだな」
久遠先生「その通り。ここで“死”と“生”が切り分けられたと考えることができるの。神話としては、死の起源と、男女の断絶を象徴しているわね」
ミコ「イザナミが死の神になって、イザナギは生の神になる。すごく哲学的」
タケル「でもさ、イザナミの立場、かわいそうじゃないか?イザナギに見られて、自分が醜くなったから怒ったんだろ?」
久遠先生「そうとも言えるし、“男が女の本質を暴こうとした”という読み方もあるの。これは、古代社会における女性の立場や、死に対する恐れも関係しているわ」
“穢れ”と禊(みそぎ)
ミコ「イザナギって、黄泉の国から戻ったあと、体を清めたんだよね?」
久遠先生「ええ、“禊”という儀式を行って、穢れを落とすの。黄泉の国は“穢れ”の世界とされていて、それに触れることは忌むべきことだったのよ」
タケル「禊って今でも神社とかでやるよな。水で清めたりして」
久遠先生「その起源がこの神話にあるの。そして、禊のときに、イザナギの体からさまざまな神々が生まれたのよ。有名なのが、天照大御神、月読命、須佐之男命ね」
ミコ「天照大御神って、イザナギの娘なんだ!初めて知った!」
タケル「じゃあ、黄泉の国の話がなかったら、日本の神々は生まれてなかったのか?」
久遠先生「そういう見方もできるわね。イザナミの死がなければ、神々の分担や世界の秩序は生まれなかったとも言えるのよ」
歴史的・文化的な意味
ミコ「この話って、単なる神話じゃなくて、文化とか考え方にも影響してるんだよね?」
久遠先生「もちろん。死を“穢れ”と見る感覚、男女の違いへの意識、境界の重要性……そうした考え方が、日本文化の根底にあるのよ」
タケル「てことは、黄泉の国って、単なる怖い話じゃないんだな」
久遠先生「そう。生と死、男女、現世とあの世。そのすべての境界にあるのが黄泉の国。そして、それを経験したのがイザナギであり、そこに留まったのがイザナミなの」
ミコ「昔の人にとって、死ってすごく身近でリアルなものだったんだね」
久遠先生「だからこそ、それを神話にして、形に残したのかもしれないわね」
“黄泉の国”はどこにある?
タケル「でさ、黄泉の国って、ほんとにどこかにあるのか?」
久遠先生「昔の人たちは、“出雲の黄泉比良坂”が黄泉の入り口とされていたの。今でも島根県にそれにあたる場所があるわ」
ミコ「えーっ、行ってみたいかも……怖いけど」
久遠先生「でも、実際には“死者の世界”は地中や西方、あるいは海の彼方にあると考えられていたの。黄泉の国がどこかというより、“この世の果て”としての象徴なのよ」
タケル「でも、行ったら帰ってこれないんだよな……」
久遠先生「その覚悟がなければ、黄泉の国へは行けないの。だからこそ、イザナギの旅は特別なのよ」
イザナミは本当に“悪”だったのか?
ミコ「イザナミって、悪役みたいに思われがちだけど、ほんとはどうなの?」
久遠先生「死者の神として恐れられてはいるけれど、彼女はもともと命を生み出す女神だったの。死の神になったのは、愛する者を失った悲しみと怒りの結果ともいえるわ」
タケル「……それって、なんか人間っぽいな」
久遠先生「神話の登場人物は、実は人間の感情を反映してるの。だから、イザナミも悪として単純には語れない存在なのよ」
ミコ「深いなぁ……イザナミの気持ち、ちょっとわかるかも」
タケル「オレも……なんか今日、イザナミ好きになったかもな」
久遠先生「ふふ、そう感じたら、それが神話の力なのよ」
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